【創作論】設定におけるタブーとタブーによる効果性

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創作における楽しい時間は、物語を想像して作り始める時間が最も楽しいと言われていたりします。

その上で、大事になってくるのが『 設定 』です。

この記事は、これはやらない方がいいというタブー設定と、

そのタブー設定を効果的に活かした例について、解説していこうと思います。



☓ タブー基本的にはやらない方がいい
① 回復機能復活機能の設定に対する無制限(不老不死なども)
 
② 露骨に最強すぎる主人公設定
 
③ 主人公が
 
これら3つは、基本的にはやりすぎると危険と言われています。
 
その理由について解説していきます。
 
【例①】回復、復活、無制限について
 
なぜ、ダメかというと、やり直しが効くからです。
 
やり直しが効くということは、その物事そのものの事象に意味を持たなくなるからです。
 
意味を持たなくなるというのは、
 
『うまくいくまでやればいい』とか、
 
『勝てるまで、成功するまで』やればいい、
 
という結論になってしまいます。
 
制限をつけなければ、もしその物事に対して失敗したら……もしうまくいかなかった場合……
 
などの、『失敗するかもしれない……』という『緊張感』や『恐怖感』が生まれてこないのです。
 
アニメ、小説、ライトノベル。
 
これらの娯楽媒体は、エンターテーナー性を持った媒体です。
 
人の情緒を動かしてこそ、
 
『うまくいってよかった』
 
『面白かった』
 
という余韻が残るものです。
 
だからこそ、回復機能などをつける場合は注意が必要なのです。
 
【例②】主人公が露骨に最強すぎる
 
こちらも例①と少し逆かもしれませんが、だめな構造が似ています。
 
強敵との戦いや、主人公が直面している障壁に対して、
 
『強い敵が現われる』 ➝ 『しかし主人公はそれ以上に最強』
 
『やる前からわかっている』 ➝ 理由『だって最強だから負けるはずがない』
 
➝ 結局『やらんでもいいじゃん』
 
という結論になってしまいます。
 
主人公があまりに強すぎると、負けの可能性が消え、こちらも例①同様、ハラハラ感や、ワクワク感、ドキドキ感が消え、意外性もなにも作ることが出来ずに、終わってしまいます
 
なので、露骨に最強すぎる主人公を設定することは危険ということです。
 
【例③】主人公が悪である
 
私達は子供の頃から、道徳の授業を受け、思いありを持つことや、社会的秩序を守るように教育されています。
 
感受性の豊かな段階から、大人になるまで、人に対して優しくすること、正しき人としての道を進むことを学びます。
 
したがって、それから外れるような悪の行動を取、主人公だと、共感ができなくなり、心も重ねたくありません。
 
主人公が意味もなく、人を殺して、それを楽しむようなキャラクターに、私達は感情を入れてそれを疑似体験したいとは思わないのです。
 
 
○効果性のあるタブーについて
(作品例 ルパン、コードギアス、デスノート、ワンパンマン)
※ネタバレ有り
タブーにも、受け入れられる形のタブーがあります。
 
設定の基本原理の定型を崩した作品となるため、斬新であり、うまくタブーがハマれば、効果性のある作品となります。
 
まず、タブー例①を犯した作品として、コードギアスがあげられます。
 
【例①】コードギアスのタブー例(※ネタバレ有り)
 
主人公ルルーシュが、ブリタニア帝国に対して、C.C.(シ-ツー)とともに共犯者となって、反逆を行うという内容が描写されていますが、その中で出てくるこの
 
『C.C.』(シ-ツー)
 
というキャラがなんと不老不死という設定です。
 
主人公ではないにしても、主人公目線の視聴者サイドの仲間であるため、この設定は普通なら危険な設定になります。
 
しかし制限がないのかと言われるとそういう話ではなく、不老不死に関しての理由や、その仕組みがしっかりと存在します。
 
このC.C.は全ての人の心や記憶の集合意識である、『 Cの世界 』にアクセスすることが出来、その世界の肉体と、現実の肉体を入れ替えることが出来るという設定です。
 
したがって体が傷ついても、回復することが出来るという事です。
 
同じCの世界にアクセス出来るマリアンヌとも脳内で会話をすることが出来、彼女自身が携帯の端末のようなそんな能力をもっているのです。
 
自身がコードを有して、ギアス(絶対遵守の力)が与えられるというのが特徴であり、この『コード』と『ギアス』もまた、細かい設定が有ります。
 
ここでは詳しくは語りませんが、コードとは、有した場合、誰かに押しつけなければ、不老不死が続き永遠の命を孤独に彷徨い続けることになるのです。
 
ギアスは、C.C.が奴隷という境遇の中『愛されるギアス』を獲得し、この理由については、『蔑まれる境遇の中愛を強く求め、欲した』と考えられています。
 
【例① 結論】
 
タブーとされる『不老不死』という斬新な設定は、それ相応の対価を支払っているという事です。
 
このC.C.の場合においては、その境遇やコードを有したことの『心の痛み』や『これまでの時間』であったり、『これからの時間』であったりします。
 
この問題はそう簡単に取り返しのつくものではなく、過去も未来も現在もその先行きの無い終着点への道のりに、決着をつけることが、C.C.のテーマであったりします。
 
このテーマという、大きな障壁はやはり人間ドラマを産みますし、不老不死という設定は、物語を都合よく動かすためのパーツではなく、C.C.というキャラクターの核を形成している、『価値』その物なのです。
 
ようするに、理由や対価なくして、完全フリーな無制限は絶対ありえないということです。
 
読者が納得できるような作りへ落しこみましょう。
 
【例② 主人公が最強すぎる】(ネタバレ有り)
 
作品で言うと、デスノート、ワンパンマン、コードギアス。
 
これらは、主人公がかなりの最強設定です。
 
①デスノートは、主人公月(ライト)がノートにその人の顔の認識を持って名前を書くと、死にます
 
②ワンパンマンは、主人公のさいたまがどんな奴でも大体「ワンパンチ」で倒してしまいます。
 
③コードギアスは、相手の目を通して、絶対遵守の力「コードギアス」を発動することができます。
 
例②ー① デスノートの場合
 
これは、それなりの制限があります。
・本当に殺したいライバルであるLの名前がなかなか知ることができない
・相手の名前と寿命知ることができる『死神の目』は残りの寿命の半分が代償である
・殺すこと自体が物語の見せ場ではなく、その事実を明かさぬように、繰り広げられる心理戦が重要。
 
使う道具は最強であっても、さまざまなルールがあります。
それらのルールを用いて複雑な心理戦描写がデスノートの最大の見せ場であり、魅力です。
 
例②ー② ワンパンマンの場合
これは、売りのポイントがギャグであるということです。
嗜み方として、
 
・最強すぎる主人公サイタマに、どれだけ多くのヒーローや敵がその強さに迫れるか!?
・どんなに敵やその他のヒーローが強くても、結局主人公さいたまが絶対一番強いんだという得意げな気持ちになれるところ。
・あくまでも真剣なヒーローたちと敵に対して、日常的に緩くて最強なサイタマとの温度差に斬新なギャグがある
・主人公サイタマが最強なのにも関わらず、周りに評価されていない点で、視聴者が私たちは知っているという気持ちになれる点
・ヒーローとして、敵も味方も、すべての人の都合の悪い事情も、汚い部分もそれら全てを主人公のサイタマが請け負っていて、周囲に悪い評価を受け、勘違いされていても、そこに本当のヒーロー像を感じる点
 
この作品は斬新さはとても大きいでしょう。
 
しかし、物語の構造上絶対
 
『ギャグチックな仕上がり、見せ方、売り』
 
がメインになるのは、間違いないです。
 
最強キャラのため、戦闘の緊張感というもので見せ場をつくるというより、戦うキャラクターの姿を滑稽に描くことが、この難しいタブー設定を効果的にしていると思います。
 
例②ー③ コードギアスの場合
 
こちらも制限がちゃんとかけられています。
・ギアス(絶対遵守の力)は相手の目を通さなければならない
ギアスは一人に1回までしか使えない
・使いすぎると、ギアスが暴走する危険性がある
 
このコードギアスは、ルルーシュ一人だけでギアス力を使って倒すというより、組織のリーダーとして、組織をまとめあげ戦うところも見せ場としてうまくできています。
 
【例② 結局】
最強であっても、制限であったり、敵を倒すことそのものを見せ場とするのではなく、それまでの過程に見せ場を作っているため、面白い作りが成立しているということになります。
 
こちらも、完全に自由で制限や趣のない最強はあり得ないということです。
 
【例③ 主人公が悪】(ネタバレあり)
 
作品でいうと、①ルパン三世、②コードギアス、③デスノートです。
 
例③ー① ルパン三世
 
泥棒として、盗みの行為を働きますが、銭形とのイタチごっこであったり、なにより、不快になるような『人殺しや危害を加えて傷つける』という描写はありません。
 
どこか滑稽なキャラクターは、愛され系のキャラであり、憎めない設定であったりします。
 
例③ー② コードギアス
 
ダークヒーローものが流行ったその一つであり、正義のために、悪の過程を踏んでも、やるべきことを遂行したという、結末として、自分自身の意思で友人であるスザクをゼロにという立場(重荷)を背負わせて、自ら命を絶つ(殺害してもらう)ということに、落とし前やけじめをちゃんと自分でつけたところに視聴者の納得が生じます。
 
例③ー③ デスノート
 
自業自得という表現で、人を殺しまくってきた主人公が、戦いに敗れ最後に死神に殺されるという点に、やっぱそうなるよね、という納得が存在します
 
以上がタブーによる効果性についての解説でした。
 
どんなタブーであっても、視聴者や読者にそれを納得させられる作りになっていれば、成立するという話です。
 
逆に、それを納得させれる仕組みができなければ、作品は失敗し陳腐で共感の得られないものとなってしまいます。
 
皆さんも、この記事でさまざまのタブーや、制限などを意識して今後の執筆活動の参考になれていたら幸いです。