【創作論】命を使って書くとは!?

甘い。

それとも厳しい。

自分は執筆に関してどう自分を評価して取り組んでいるのだろうか。

自分に甘いから、執筆がなかなか出来ないのか。

それとも自分に厳しすぎるから、手が止まって書けないのか。

おそらくだが、両方あてはまるのだろう。

しかし、自分は最近思った。

この『書けない問題』についての神髄。

その神髄とは、自分は小説を書くことで無事でいようとしているのだ。

言わば生命を賭けていない。

小説を書くというのはしんどくて当たり前である。

いやなこともたくさんある。

というか9割はいやなことだらけだ。

1割の書いた後の達成感や反響こそ自分にとってかけがえない報酬ではあるが、それすらも得られなかった時、手にするのは無であり、ただ書き上げたというダメージだけが自分に付きまとう。

それでも小説を書きたいというのなら、命を削る覚悟で執筆するほかならない。

この命を削るというのは、生活習慣もそう。

睡眠時間。

執筆に当てられる時間。

あてられない時間も。

全てが当てはまる。

執筆のためにどれだけ尽くしていくことが出来るか。

そして書く内容もそう。

楽しいだけが執筆じゃない。

いやなことをいやいや耐えながら書く覚悟や決意。

それらを持てて初めて生命を削って書くことに当てはまるんだと思う。

自分には才能がない。

書くことが楽しいという継続し続ける才能が。

才能がない人間が、執筆をつづけるにはどうすればいいか。

それは

『命を削って書くしかない』

自分の持論で、面白くないと思いながらいやいや書いたところで面白くない小説が出来るという持論がある。

それは、もちろんそうだが。

自分は苦しみから逃げて言い訳にして今まで書いてこれなかった。

何かを決め、決めたことをしっかり守り、継続して続け、生命を賭けて書くということが出来ていなかったと思う。

例えば、今書きたい事がない。

でも、書きたい。

じゃあ、適当にお医者さんのことを小説に書いてみたらと決めてみる。

ここで俺の思考はすぐ止まる。

だって医者の知識もないし、そんな専門的な事は知らないから書けるわけないし、書きたくもない。

ここで話は終わってしまう。

そうじゃない。

決めたなら調べろ。

調べて勉強しろ。

勉強して執筆しろ。

嫌なことから逃げるな。

自分の出来ることの範囲だけでなんとかしようとするから、景色がつまらなくいつまでたっても面白い小説を書くことが出来ないんだ。

まぁ、出発の段階でいくつか書きたいことを出発点にするのはいい。

でもその出発点を決めたら、言い訳せず、きつくても、つらくても、自分を信じて執筆してみろよ。

と自分に言いたい。

イメージが固まらないなら、固まるまで瞑想しろ。

考えるのがしんどくても、頭を使って考えろ。

嫌なことから逃げるな。

逃げないで戦ったもののみ、なりたかった本当の自分の姿になれるんじゃないのかと。

私は思う。

自分に対する戒めの記事になったが、いやなことでも、我慢して続ける重要性を今回は記事にまとめて書いてみました。

最後にもう一度言いたい。

作家になりたかったら。

『命を削って書け!』

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