笑う狐の悪ふざけ 前編
僕は、君を助ける。
そうずっと宣言しているだけで。
実際、僕は何もしない。
ただただ、テレビの中から、一人孤独に寂しく疎外感を味わう君へ。
何度も何度もエールを送る。
『うーまんくん、僕は、君を助けるからねっ!』
と。
うーまんくんは、僕の高専時代の同級生。
彼は、特徴、個性、ありとあらゆる自己を主張したものは、まるでなく。
本当に、一人、寂しく口数すくなく、お昼の時間は、持参した弁当に、冷えた味噌汁をすするような、そんな学生だった。
個性がないというのが、彼の個性ではないか?
というくらい、彼は、なにも自分の主張をしなかった。
誰も彼に話しかけない。
誰も彼を気にしない。
でも、僕は違った。
一人で、休み時間に本を読む彼を。
一人で、弁当を食べる彼を。
少し、からかうような、そんな口調で、ちょっかいかけるように、僕は、彼に話しかけていた。
うーまんくんは、いったいそんなぼくのことを、どう感じていたんだろうか?
内心からかいやがって、ムカつく。
とか。
俺の一人の時間を邪魔するなよ、とか。
そんな気持ちを抱いていたのではないだろうか。
一人孤高の静けさや、寂しさの中、他人が話かけてくる気持ちが理解できたのは、高専を卒業してからのことだった。
僕は、就職し、埼玉の会社で働くことになった。
初めは、笑顔で、八方美人。
いつもニコニコ。
いつも親切丁寧に。
全ての人に好かれたいとまでは言わないが、全ての人に嫌われないように。
そんな気持ちで、人に優しくしていこうと思った。
だが、そんなのは無理だった。
どうしても、社会のなか自分の考え方との不一致で、ストレスやダメージを与えられ傷つくことがあった。
社会人になって、考え方や、価値観が違ってしまうのは仕方ないこと。
多くの人間が、この社会という荒波のなかで悩み苦しみ、壁にぶち当たる。
その時、人は、所詮人なんて……
というどこか冷めた割り切りをし、この苦境を乗り越えようとする。
でも、その割りきる気持ちは僕にはできなかった。
人は、大切だ。
人を、大切にしない人間は誰も人に助けられない。
自分の悩み、苦しみ、痛み、考え、僕はため込み、誰にも伝えることが出来なかった。
だって人は大切なんだ。
自分の痛みの訴えを言ったところで、その人を困らせるだけだ。
そう思った。
でも。
僕、気づけば一人だった。
一人ぼっちだった。
職場の角のすみのデスクで。
なんの仕事をあいつは、やっているんだって。
あいつの存在意義はいったいなんだって。
あんなやつ会社にいる価値があるのかって。
そんな声が聞こえてきそうな気がして。
僕は、取り残されたその空間の中で。
決して、自分から、何も話すことが出来なかった僕に、
安全管理の仕事をしていた、柴田さんという人が、ふと、話かけてくれた。
そのときのことを僕はよく覚えている。
話した内容は全く覚えていないが。
話かけてくれたときの気持ちだけは、よく覚えている。
あ。
やっと、人が自分に話しかけてくれた。
やっと、気にかけてくれた。
うれしい。
すごく嬉しい。
やっと自分に話すチャンスを与えてくれた。
その心の思いをとても強く感じた。
そこで、ふと思った。
学生時代。
一人の空間で、同じく苦しんでいるような、うーまんくんの気持ち。
その時の気持ちに。
僕は、もしかして、からかいつつも、彼を助けてたんじゃないかって。
自分は、相手を嬉しい気持ちにさせていたんじゃないかって。
なにげない普通の日常。
その一瞬の気持ち。
そんなもの誰も覚えていない。
朝ご飯がおいしかった。
友達と馬鹿やってすごく楽しかった。
先生に理不尽に怒られてムカついた。
そんな記憶は、一瞬に過ぎさり、消えていく。
でも。
この何気ない日常の、この瞬間の嬉しい思い。
誰かが話かけてくれた。
ワトソンが話かけてくれた。
やっと話かけてくれた。
そのうーまんくんの思い。
気持ち。
勝手ながら憶測的に書いてはいるが、僕が、あのとき抱いた気持ちはきっと似ているものだと信じている。
そして、僕は、結局体調を崩し、考えるほとんどの能力を失った。
あかご同然のような、子供がえりしたような、そんな自分になっていた。
当時の年齢は21歳。
メンタルヘルス先生に、連れられ、病院に連れて行かれた。
病院の待合所のイスに座り。
何の気なしに手に取った、園児が読むような絵本。
絵本の文字は、さすがによめたが、内容はあまり入ってこない。
でも、なんとなく、その感覚、その雰囲気。
この絵本を読んでいる自分。
それを読み聞かせてくれた親。
過去の僕。
過去の自分を思い出した。
こんな絵本を、はじめはお母さんは読んでくれてたなって。
お母さんは、どんな未来やどんな夢やどんな気持ちを込めて、僕を育ててくれたんだろうかって。
そんな過去の親の気持ちや、そんな親の願いに、反して裏切るような、心の弱い自分を。
とても実感してしまった。
僕は弱い。
僕は子供だ。
僕は儚い。
なんて、小さな、弱い生き物なんだ。
親が、大きな期待をかけて育ててくれたのに。
自分は、こんな形でこんなところにいてしまって。
そう思った瞬間。
涙が流れた。
メンタルヘルスの先生が隣に座っていた。
先生は僕の涙に気づいてしまっているのだろうか。
客観的にみて、やはりおかしくなってしまったなと思われているんじゃないだろうか。
もう、そんなことはどうでもよかった。
厳しい世間、厳しい社会、厳しい世の中。
優しく育ててくれた親、この厳しい現実を知っていたのかどうかもわからないが、大事に育ててくれた親。
その厳しい世界の恐怖と。
家族の優しい気持ちとのギャップに。
抑えられない思いがあった。
この絵本は、なにより自分を苦しくさせる。
なにか、怖さを感じる。
でも、優しさも感じる。
この優しさの気持ちが強く強く響けば響くほどに。
その先に待つ世間の恐怖を自分のなかで大きく感じてしまう。
おかあさん。
ありがとね。
そう思いながら僕は絵本を閉じた。
病院の診察が終わり、付き添いのメンタルヘルスの先生ともわかれて、家に一人で帰ろうとした。
帰り道。
信号は赤だった。
視覚効果として、赤は赤。
それは分かっている。
だが、その赤がどんな意味をもっているかなんて僕にはわからなかった。
赤信号を渡ろうとした。
すると、車が目の前を通りかかり、危ないと気づき、わたるのをやめた。
だめだ。
思考力が鈍ってる。
もう考える力が俺にはない。
感じる力も。
おそらく、俺は、鬱になってしまったんだろう。
その時だった。
その鬱。
鬱の感覚にしか理解できないと思われぬ、一つの動物の笑う顔。
その顔を想像してしまった。
危険な僕の行動を、あざ笑うかのように、一匹の狐のお面のようなものが、僕を笑っている。
そんな想像をしてしまった。
それは、想像というよりかは、妄想か。
笑う狐は、その後。
この後、5年後、いけない悪戯をするのであった。
笑う狐の悪ふざけ 前編