紫蘭の湖4

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自転車を走らせていくと、商店や民家が少なくなっていき、気が付くと農道に出ていた。道がアスファルトから整備されていない砂利道へと変わり、ハンドルに振動が伝わってくる。サドルにまたがっていたら痒くなりそうだ。どこかのフェチ丸出しの僕のファンとやらに感謝したいね。

 延々、まっすぐな砂利道を走る。

 両脇には林檎の木が、雪のような真っ白な花を咲かせていた。

「私ね、ずっと鬼なの」

「小学生の時から?」

 問いかけに瀬名は答えない。

 緩い下り坂に差し掛かると、漕ぐのをやめ、ゆっくりとしたスピードに身を任せる。

 雪の花の甘い香がした。

「今みたいな時間にさ、瀬名は寂しそうに歩いていたよね」

 肩を落としながら歩く少女。

 逢魔が時にかわる静まる世界で、彼女は儚げに歩いていた。サンダルを見つめて歩いているその姿は、自分の足がどこに向かっているのか不安でたまらないといったように。

「あの時から、ずっと鬼を探しているんだろう?」

 背中から力なく微笑むような声がする。

「あなたって意外と鋭いのね」

 鈍いかと思ってたわ、と彼女が言う。

「そう。夜の帳が下り始めた世界で、私は子を見失ったわ」

 それからずっと探しているの―――。

『鬼ごっこ、しているの……』

『鬼ごっこ? まだ見つからないの?』

『そう……ずっと探しているの』

 あの時もおなじことを、寂しそうに言っていた。

 あの時も、今も。

 補助輪を外せなかったあの頃も、サドルを盗まれて立ちたこぎをしている今も。

「私ひとりじゃ、もう限界みたい」

 背中に瀬名の小さな頭が預けられた。

 ふわふわとした髪の毛がシャツ越しに僕の胸を締め付けた。

 ぎゅっ、ぎゅっ。

 昔の僕は何て言ったかな。

 どこに帰ればいいか、どこに向かっているのか分からずに俯き、サンダルばかり見て歩く女の子に。

 昔の僕は何て言ったかな。

 ブレーキを握りしめる。キキッと甲高い音を立てながら、スピードが少しずつ遅くなる。

「どうしたの?」

 セピア色に褪せた思い出は意地悪だ。大事なことを何一つ教えてくれやしない。でも一個だけ、絶対に忘れていないものがあった。あの時も今も。変わらずに。

 自転車から降り、振り返る。

 眉を下げる瀬名の目を見つめる。

 その瞳は涙で潤んでいた。

『探すの、手伝うよ』

 今にも泣きそうな女の子に、笑ってほしい―――

「手伝うよ」

 泣きそうなのか、笑いそうなのか。いろんな感情がないまぜになったような顔だった。何かに怯えるような、それにすがりつきたいような儚げに揺れる目を、僕は見つめた。

 すると次第に端正な顔はくしゃっと崩れて白く美しい頬に涙が伝う。

「ありがとう」

 照れくさそうにはにかむと彼女は小さく笑い、ごめんね、と聞き逃してしまいそうな声で囁いた。

「ごめんね」

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