【プロ野球 ソフトバンク】鯉に落ちて鷹となりけり藤井皓哉の大復活劇
皆さん。
この選手をご存知だろうか?
広島東洋カープで6年間在籍し、2020年に戦力外になりながらも、不死鳥の如く、復活を遂げた今やソフトバンクの中継ぎエースの地位まで登りつめた、藤井皓哉選手である。
まずは、その藤井皓哉選手がどのように復活したのかを、プロフィールから順にご紹介します。
藤井皓哉のプロフィール
出身地 : 岡山県笠岡市
生年月日 : 1996年7月29日
身長 : 181㎝
体重 : 83キロ
投打 : 右投左打
ポジション: 投手
経歴 : おかやま山陽高等学校
⇨ 広島東洋カープ(2015年ー2020年)
⇨ 高知ファイティングドックス(2021年)
⇨ ソフトバンクホークス(2022年)
ドラフト : 2014年ドラフト4位
広島入団
2014年にドラフト4位でカープに入団した藤井皓哉選手ですが、最初の二年間は一軍登板がありませんでした。
2017年9月30日に横浜ベイスターズ戦で(横浜スタジアム)でプロ入り初登板をして、1回無失点の三者凡退に抑えました。
翌年2018年の6月6日の交流戦で北海道日本ハムファイターズから初勝利をマークし、結局この年は、8試合に登板し、1勝0敗防御率6.14の成績でした。
右肩上がりに、一軍への出場機会が増えるとおもいきや、2019年は4試合の登板に終わり、この年がカープ時代の最後の登板となりました。
一方ウエスタンリーグでは、26試合に登板し防御率0.33の好成績をマーク。
翌2020年、ウエスタンリーグ登板26試合で、防御率4.61で2勝2敗2セーブながら、この年をもって広島東洋カープから戦力外通告を受けNPBのユニフォームを脱ぎます。
このカープ在籍時の6年間で藤井選手は14試合しか登板をしていません。
ウエスタンリーグでは、好投を続けていたのは事実なので、元々素材は良い物を持っていたと思われます。
しかし、2016年~2018年はカープの黄金時代で、一軍での中継ぎ、抑えは盤石。
当時のメンバーと言えば、今村、一岡、ジャクソン、フランスア、中田廉、そして守護神の中崎翔太など、厚みのあるリリーフ陣が控えていたため、一軍での出場がなかなか難しかったと思われます。
戦力外直後も本人は
『9月10月は自分の思った球を投げられていたので、まだ投げたい気持ちがある』と話しており、再び、NPBに戻る覚悟で12球団合同トライアウトを受けました。
結果は、打者3人相手に2奪三振とショートゴロでしたが、他球団のからオファーはなくNPBからを去ることになりました。
独立リーグでの猛アピール
NPBからオファーはありませんでしたが、独立リーグ、台湾プロ野球、社会人野球などから声がかかっていたようで、
2021年四国独立アイランドリーグの高知ファイティングドックスと契約が合意し、入団時、吉田豊彦監督から
『先の安定を求めるなら社会人。NPBへ戻る気持ちがまだあるならウチだと思う』
という、言葉を受け入団を決意したそうです。
なかでも、藤井皓哉選手の人生を大きく変えたと思われる岐路となる試合が、
2021年5月9日の福岡ソフトバンクホークスとの三軍戦。
打者30人と対戦し、10奪三振、四球3で、一本もヒットを打たれることなく、被安打0のノーヒットノーランを達成。
同リーグ選手では、9年ぶり4人目で、その後、藤井皓哉選手は好投を続け、NPB補強期限となる8月末時点で、129イニングを投げており、結局、145回、11勝3敗、防御率1.12、180奪三振で最優秀防御率と最多奪三振を獲得し、大活躍でNPBへ猛アピールし、期限内でのオファーはありませんでしたが、12月14日ソフトバンクとの育成契約が合意したため、独立リーグではここで自由契約となりました。
ソフトバンクでNPB復帰
育成からの船出となりましたが、入団時、ソフトバンクゼネラルマネージャーの三笠氏から『もう一度、NPBでやって活躍できる可能性は十分にある』と言わており、
2022年春の秋季キャンプはB組(二軍)で出発するものの、一軍昇格を経て、オープン戦で好投。5試合を投げ防御率1.50、1勝0敗、6イニングで奪三振10の活躍で、同年3月22日に支配下登録が決定し、背番号48で、再びNPB復帰を果たしたのです。
現在の大活躍
開幕を一軍で迎え、3月27日から6月8日まで、21試合連続無失点を記録し、圧倒的な奪三振率でブルペン陣を支え、チームに大きく貢献。
結局この年、55試合に登板、防御率1.12、56.1イニングで、5勝1敗3セーブ22ホールドをマーク。
奪三振は81で、なんと奪三振率は13.50で驚異的数字を残しました。
年俸はチーム一位のUP率で、809%UPの
年俸650万 ⇨ 年俸5000万
まさに、大車輪の活躍で、NPBへ大復活を遂げたのでした。
復活のルーツはどこにあったのか!?
元々、カープ時代もウエスタンで好投を続けており、素材は良い物があったんだと思います。
しかし、カープ投手陣の厚みと、それを跳ね返すほどの力が当時は、難しく、
カープ時代の戦力外を受けて、本人自身も、自分を見つめ直して、野球に取り組んだだと思います。
カープ時代から、奪三振能力は非常に高く、同時に与四球の数も多かったようで、荒削りな部分があったそうです。
それらを見つめ直して、独立リーグでは良き指導者に恵まれたのでしょうか、雑草魂で、好投を連発し、猛アピールに成功しました。
特に、NPBのスカウトの注目があったであろう、ソフトバンクとの三軍戦でのノーヒットノーランは自分の『 人生をかけたマウンド 』だったのではないかと私は勝手ながら思います。
ソフトバンク入団後も、それらを自信に変え、与四球の制球難を克服し、大復活の大活躍を遂げることが出来たんだと思います。
私は、カープファンとして思う事は、
『なんで皓哉をクビにしたんだよ、勿体ないな』
『皓哉立派にNPBに帰ってきて、復活してかっこいいし、嬉しいよ』
この二つの気持ちが大きいです。
おそらくですが、カープで大きく活躍できなかったのは、本人の力を信じて認めてあげられなかったことと、指導者とうまく育成のベクトルがあわなかったことだったと思います。
また、クビになりそこから、気づいたこと、自身が変われたことで、今の彼の活躍に繋がっただと思います。
今後も藤井皓哉選手をカープファンながら、注目し、応援していきたいと思います。